2021年10月19日
感謝
天候の心配が多少残る中ではありましたが、
(お寺関係者内の内内の事はわかりませんが)
滞りなく催事が終わりました。


(※写真は沢山撮ったのですが、当然多くの方々が写っていますので、大丈夫そうなこちらの写真のみを載せますm(_ _)m)
光忠寺住職から、今回の石工事に際しての
【感謝状】をいただきました。

今回の工事では大変貴重な経験をさせていただき、
石工として大きな力をつけることが出来ました。
住職ならびに関係各位の皆様
ありがとうございました。
そして、
ご近所の皆様、檀家の皆様には
長い工事期間中たくさん話しかけていただいた事、
いろいろな差し入れをしていただいた事、
全てが大きな支えとなりました。
皆様ありがとうございました。



(お寺関係者内の内内の事はわかりませんが)
滞りなく催事が終わりました。


(※写真は沢山撮ったのですが、当然多くの方々が写っていますので、大丈夫そうなこちらの写真のみを載せますm(_ _)m)
光忠寺住職から、今回の石工事に際しての
【感謝状】をいただきました。

今回の工事では大変貴重な経験をさせていただき、
石工として大きな力をつけることが出来ました。
住職ならびに関係各位の皆様
ありがとうございました。
そして、
ご近所の皆様、檀家の皆様には
長い工事期間中たくさん話しかけていただいた事、
いろいろな差し入れをしていただいた事、
全てが大きな支えとなりました。
皆様ありがとうございました。



2021年10月16日
明日の予定
10月17日(日)
蒲郡市形原町の展示場は臨時休業とさせていただきます。
18日からは通常営業となります。
どうぞ宜しくお願い致しますm(._.)m
コロナ禍ということもあり厳しい状況下ですが、
感染対策の厳戒態勢のもと、明日17日は
予定通り
10時より【稚児練り供養行列】
13時より【御三家御廟慶讃法要】
14時より【光忠寺二十四世晋山式】
が、蒲郡市西浦町の光忠寺様にて行われます。

御三家御廟他の大規模石工事をさせていただいた
ご縁に感謝し、明日の当日は
稚児練り供養行列において
大きな『珠傘』を持ち参加させていただきます。
10名以上の僧侶が厳修する法要は、なかなか見られる事ではないので、ご興味ある方々には是非とも
見物をおすすめしたいところですが、
なんせ、コロナ禍ですので
こちらからお誘いをする事が出来ません。
いろいろな事を心にお留め頂きますよう
宜しくお願い致します。
なお、駐車場に関してはご用意がありませんので
ご理解の程お願いします。
蒲郡市形原町の展示場は臨時休業とさせていただきます。
18日からは通常営業となります。
どうぞ宜しくお願い致しますm(._.)m
コロナ禍ということもあり厳しい状況下ですが、
感染対策の厳戒態勢のもと、明日17日は
予定通り
10時より【稚児練り供養行列】
13時より【御三家御廟慶讃法要】
14時より【光忠寺二十四世晋山式】
が、蒲郡市西浦町の光忠寺様にて行われます。

御三家御廟他の大規模石工事をさせていただいた
ご縁に感謝し、明日の当日は
稚児練り供養行列において
大きな『珠傘』を持ち参加させていただきます。
10名以上の僧侶が厳修する法要は、なかなか見られる事ではないので、ご興味ある方々には是非とも
見物をおすすめしたいところですが、
なんせ、コロナ禍ですので
こちらからお誘いをする事が出来ません。
いろいろな事を心にお留め頂きますよう
宜しくお願い致します。
なお、駐車場に関してはご用意がありませんので
ご理解の程お願いします。
2021年10月14日
お疲れっした!
10月17日の完成お披露目に向けて、全て完成しました。


※開眼法要前につき、モザイクかけさせていただきます。
形原松平家について
西郷正勝公について
利長公について
数回に渡り、この場に書かせていただきました。
今回の再建大規模工事のきっかけとなった利長公についてもこれで最終章となります。
だいぶ日にちは空いてしまいましたが、前回記事までと併せてお読み下さい。
織田信秀率いる織田軍と、今川義元率いる今川軍の対立がまだまだ続く中、
織田信秀が亡くなってしまいました。
その後の家督を継いだのが、
子の【織田信長】
信長に代わった事で、織田一族は内乱が起こりました。
その間にも、今川軍は着実に三河を収めていきました。
そして、親の代から争いを続ける因縁の関係の最終決戦!
1560年【桶狭間の戦い】です。
三河を平定し、じわりじわりと織田軍領地の
尾張へと侵略を始めた今川義元。
信長は
丹下砦
善照寺砦
中島砦
鷲津砦
丸根砦
5つの砦(とりで)を築いて防御を強化しました。
当時、今川義元側の人質として今川軍についていた
松平元康(後の徳川家康)。
元康は、今川義元から先鋒を命じられ
まずは、鷲津砦・丸根砦に攻め込み
今川軍が制圧しました。
利長公は、松平元康の元、丸根砦に攻め込んだ時に
戦死してしまいました。
その後の【桶狭間の戦い】の最終決戦は、
圧倒的な兵数で出陣したはずの今川義元が討たれ、今川軍は総崩れ。
戦力で戦った織田信長の勝ちという結果に終わりましたとさっ(°_°)
長々とお付き合いありがとうございました。
工事も無事に完成してとにかく安堵です。

今年に入り始まった大規模な工事。
頭も仕事もパンパンになりながらもやり遂げることが出来ました(*'▽'*)
これにて、撤収ーーーー
(๑>◡<๑)
お疲れっした!!!


※開眼法要前につき、モザイクかけさせていただきます。
形原松平家について
西郷正勝公について
利長公について
数回に渡り、この場に書かせていただきました。
今回の再建大規模工事のきっかけとなった利長公についてもこれで最終章となります。
だいぶ日にちは空いてしまいましたが、前回記事までと併せてお読み下さい。
織田信秀率いる織田軍と、今川義元率いる今川軍の対立がまだまだ続く中、
織田信秀が亡くなってしまいました。
その後の家督を継いだのが、
子の【織田信長】
信長に代わった事で、織田一族は内乱が起こりました。
その間にも、今川軍は着実に三河を収めていきました。
そして、親の代から争いを続ける因縁の関係の最終決戦!
1560年【桶狭間の戦い】です。
三河を平定し、じわりじわりと織田軍領地の
尾張へと侵略を始めた今川義元。
信長は
丹下砦
善照寺砦
中島砦
鷲津砦
丸根砦
5つの砦(とりで)を築いて防御を強化しました。
当時、今川義元側の人質として今川軍についていた
松平元康(後の徳川家康)。
元康は、今川義元から先鋒を命じられ
まずは、鷲津砦・丸根砦に攻め込み
今川軍が制圧しました。
利長公は、松平元康の元、丸根砦に攻め込んだ時に
戦死してしまいました。
その後の【桶狭間の戦い】の最終決戦は、
圧倒的な兵数で出陣したはずの今川義元が討たれ、今川軍は総崩れ。
戦力で戦った織田信長の勝ちという結果に終わりましたとさっ(°_°)
長々とお付き合いありがとうございました。
工事も無事に完成してとにかく安堵です。

今年に入り始まった大規模な工事。
頭も仕事もパンパンになりながらもやり遂げることが出来ました(*'▽'*)
これにて、撤収ーーーー
(๑>◡<๑)
お疲れっした!!!
2021年08月24日
安城合戦
『松平家御廟他大規模工事』もいよいよ
大詰めに近づいてきました。

尾張を支配地とする織田信長の父【織田信秀】と、
遠江・駿河を支配地とする【今川義元】は、

この間にある『三河』を巡って長い間 争いを続けていました。
安祥城(現在の愛知県安城市)を拠点とし、
三河で勢力拡大をしていた
松平家7代 【松平清康(家康の祖父)】は、
岡崎城へ拠点を移し、三河領国を支配するまでに勢力をあげていました。

そんな中、松平清康は、25才で家臣に殺されてしまいました。
その後を【松平広忠(家康の父)】が継ぎましたが、まだ幼かった広忠には、領国経営は難しく、
松平家は、少しずつ勢力が落ちてきてしまいました。
そこで、
「よっしゃ!今だ!」
と、
1540年
三河進出を仕掛けてきたのが
織田信秀率いる織田軍。
織田軍は、軍勢を率いて松平家の戦略の拠点となる
『安祥城』に攻め込みました!!
http://shibauchi148.boo-log.com/e549008.html
松平広忠の家臣であり
藤井城を居城とする【利長公】は、
安祥城に急行し、
攻め込む織田軍を撃退させ、安祥城を守りました。
その後、何度も何度も織田軍は安祥城を攻め、
とうとう安祥城が織田軍の手に渡ってしまいました。
【安祥城】の取り合いは続けられ
織田軍が三河進出を仕掛けた1540年から始まった戦いは約10年にわたりました。
この戦いを
【安城合戦】
というそうです。
大詰めに近づいてきました。

尾張を支配地とする織田信長の父【織田信秀】と、
遠江・駿河を支配地とする【今川義元】は、

この間にある『三河』を巡って長い間 争いを続けていました。
安祥城(現在の愛知県安城市)を拠点とし、
三河で勢力拡大をしていた
松平家7代 【松平清康(家康の祖父)】は、
岡崎城へ拠点を移し、三河領国を支配するまでに勢力をあげていました。

そんな中、松平清康は、25才で家臣に殺されてしまいました。
その後を【松平広忠(家康の父)】が継ぎましたが、まだ幼かった広忠には、領国経営は難しく、
松平家は、少しずつ勢力が落ちてきてしまいました。
そこで、
「よっしゃ!今だ!」
と、
1540年
三河進出を仕掛けてきたのが
織田信秀率いる織田軍。
織田軍は、軍勢を率いて松平家の戦略の拠点となる
『安祥城』に攻め込みました!!
http://shibauchi148.boo-log.com/e549008.html
松平広忠の家臣であり
藤井城を居城とする【利長公】は、
安祥城に急行し、
攻め込む織田軍を撃退させ、安祥城を守りました。
その後、何度も何度も織田軍は安祥城を攻め、
とうとう安祥城が織田軍の手に渡ってしまいました。
【安祥城】の取り合いは続けられ
織田軍が三河進出を仕掛けた1540年から始まった戦いは約10年にわたりました。
この戦いを
【安城合戦】
というそうです。
2021年07月27日
だいぶ進んでます!
松平家御廟他大規模工事も着々と進んでいます。

4M弱の長〜い石を据え付けるので、その分の穴も
深〜く掘ります。


ふらっと見に来た嫁さんが、
「なんだ。ユンボが掘っとるんか!楽しとんなぁ〜
( ˘ω˘ )」
((((;゚Д゚)))))))
……この人…鬼だ!
((((;゚Д゚)))))))
僕なんて、嫁さんにも見せてやろう♬
って


写真撮って送ったりするのに( ˘ω˘ )
おかげさまで毎日が充実しています(¬_¬)

4M弱の長〜い石を据え付けるので、その分の穴も
深〜く掘ります。


ふらっと見に来た嫁さんが、
「なんだ。ユンボが掘っとるんか!楽しとんなぁ〜
( ˘ω˘ )」
((((;゚Д゚)))))))
……この人…鬼だ!
((((;゚Д゚)))))))
僕なんて、嫁さんにも見せてやろう♬
って


写真撮って送ったりするのに( ˘ω˘ )
おかげさまで毎日が充実しています(¬_¬)
2021年07月17日
企画展
本日
7/17(土)から8/29(日)まで
蒲郡市博物館で
【松平家ゆかりの文化財】

という
今、工事させていただいているドンピシャの企画展があるようです。
http://shibauchi148.boo-log.com/e544121.html
今回の工事をさせていただくにあたり、だいぶお勉強はしましたが、
歴史というものは 奥が深い! ですね。
ご興味ある方は、コロナウイルス感染予防対策をしっかりして是非お出掛け下さい。
7/17(土)から8/29(日)まで
蒲郡市博物館で
【松平家ゆかりの文化財】

という
今、工事させていただいているドンピシャの企画展があるようです。
http://shibauchi148.boo-log.com/e544121.html
今回の工事をさせていただくにあたり、だいぶお勉強はしましたが、
歴史というものは 奥が深い! ですね。
ご興味ある方は、コロナウイルス感染予防対策をしっかりして是非お出掛け下さい。
2021年06月25日
八幡社
日本には
【八百万(やおよろず)の神】
という概念があり、全国各地にさまざまな神々をまつる神社があります。
その中で、ダントツで1番多い神社は
【八幡(はちまん)神社】です。
かつては、武家の間で信仰が集まり、
武道をつかさどり、武運を守る神
『武神』
として各地に拡がったようですが、
現在はすっかり庶民派となり
交通安全や健康など。所願成就のご利益があるという 時代と共にご利益が変化し、仏教とも深い関わりをもつ八幡さまです。
今回の松平家御廟他大規模工事をさせていただいているこちらのお寺にも
http://shibauchi148.boo-log.com/e544121.html
【八幡社】があります。

多くの木に囲まれ、ひっそりと鎮座していましたが、避ける事の出来ない年月の経過による劣化もあり今回松平家と共に修繕工事をしています。

周りの木を切り明るい光を取り入れて、
傾きを直し、全面石貼りをしています。



ここからさらに手を加えていきます。
【八百万(やおよろず)の神】
という概念があり、全国各地にさまざまな神々をまつる神社があります。
その中で、ダントツで1番多い神社は
【八幡(はちまん)神社】です。
かつては、武家の間で信仰が集まり、
武道をつかさどり、武運を守る神
『武神』
として各地に拡がったようですが、
現在はすっかり庶民派となり
交通安全や健康など。所願成就のご利益があるという 時代と共にご利益が変化し、仏教とも深い関わりをもつ八幡さまです。
今回の松平家御廟他大規模工事をさせていただいているこちらのお寺にも
http://shibauchi148.boo-log.com/e544121.html
【八幡社】があります。

多くの木に囲まれ、ひっそりと鎮座していましたが、避ける事の出来ない年月の経過による劣化もあり今回松平家と共に修繕工事をしています。

周りの木を切り明るい光を取り入れて、
傾きを直し、全面石貼りをしています。



ここからさらに手を加えていきます。
2021年05月24日
利長公

松平家5代 長忠(長親)の5男で、
藤井松平家の祖 利長ですが、
実父は、
形原松平家2代当主 貞副 なんだとか。
形原松平家で生まれ育てられた後、
松平長忠(長親)の5男として養子に入ったようです。

そんな事から、
1560年、命を落とした利長を、形原松平家が大変哀しみ、利長を形原松平家と同じ場所に葬ったそうです。
松平一門は、一族同士の結びつきと維持強化させるために、婚姻や養子関係を持ち、勢力拡大をし様々な場面で連携をして一族一揆を形成していました。
利長は、
三河国碧海郡藤井(現在の安城市藤井町)に、
藤井城を築城し、
【藤井松平】
と称して、祖となりました。

※三河武士のやかた家康館資料
松平の族葉 14松平より写真を引用
2021年05月12日
藤井松平家
そして、2基目。
14松平のうちの1つ。
【藤井松平家】 初代当主 利長公のもの。
今回、工事をするきっかけとなった出来事がありました。
2019年、令和元年の年末。
光忠寺様に藤井松平家の末裔の方から電話があったそうです。
「2020年、利長公の460年遠忌となります。
利長公の御廟がそちらにあると思いますが…」
と。
ご連絡をうけ、過去帳の確認をし痕跡はあるものの実際には昭和20年の三河大震災によって崩落してしまった。
と言う事が判明しました。
この事が大きなきっかけとなり、1年かけて構想を練り話し合いを重ね、
今年2021年より
【藤井松平家初代利長公の御廟の再建】
前回、お伝えした
【西郷正勝公の御廟の再建】
をし、同時に

・樹木の根により地盤が隆起してしまう。
・落葉の季節の落ち葉の量、汚れ。
・多くの木々により鬱蒼とした雰囲気となっている。
などの理由から
http://shibauchi148.boo-log.com/e545184.html
【形原松平家 御廟内の整地】
その他、八幡社の修繕なども含めた大工事をしていますᕦ(ò_óˇ)ᕤ

工事は順調に進み、何となく全貌がみえてきました。
さて、次回からは
【利長公】に焦点を当てて書いていきたいと思います。
14松平のうちの1つ。
【藤井松平家】 初代当主 利長公のもの。
今回、工事をするきっかけとなった出来事がありました。
2019年、令和元年の年末。
光忠寺様に藤井松平家の末裔の方から電話があったそうです。
「2020年、利長公の460年遠忌となります。
利長公の御廟がそちらにあると思いますが…」
と。
ご連絡をうけ、過去帳の確認をし痕跡はあるものの実際には昭和20年の三河大震災によって崩落してしまった。
と言う事が判明しました。
この事が大きなきっかけとなり、1年かけて構想を練り話し合いを重ね、
今年2021年より
【藤井松平家初代利長公の御廟の再建】
前回、お伝えした
【西郷正勝公の御廟の再建】
をし、同時に

・樹木の根により地盤が隆起してしまう。
・落葉の季節の落ち葉の量、汚れ。
・多くの木々により鬱蒼とした雰囲気となっている。
などの理由から
http://shibauchi148.boo-log.com/e545184.html
【形原松平家 御廟内の整地】
その他、八幡社の修繕なども含めた大工事をしていますᕦ(ò_óˇ)ᕤ

工事は順調に進み、何となく全貌がみえてきました。
さて、次回からは
【利長公】に焦点を当てて書いていきたいと思います。
2021年04月23日
西郷正勝公の御廟
今回の工事で再建する御廟
1つ目。
『西郷正勝』のもの。
もちろんこのお方も、戦国時代の武将。
長い間、今川氏に従属していましたが、
ご存知
【桶狭間の戦い】で、今川義元が織田信長に敗れました。
その後、今川氏は滅亡の道を辿り始めました。
そこで
幼い頃から、今川氏の人質となって過ごしていた
松平元康(後の徳川家康)は、今川義元の死後、
人質の身を脱し
晴れて自由の身となり岡崎城に戻り独立を果たし、
今川義元より1字とって名付けられた
【元康】の 【元】を廃し、
【家康】と改めました。
西郷正勝は、勢力の弱まった今川氏を見限り
独立を果たした家康に転属し、
五本松城(現在の豊橋市)を築き、三河西郷氏となり、家康に従属しました。
父、今川義元を亡くした息子の今川氏真(うじざね)は、転属した西郷正勝が気に入らないため
五本松城を攻め、西郷正勝を殺してしまいました。
…何というΣ(-᷅_-᷄๑)
そこで
形原松平家の菩提寺『光忠寺』で葬り供養し続けているそうですが、
御廟の確認がとれないままずいぶん長い時間が経ってしまったそうです。
今回、そんな西郷正勝公の御廟を再建します。
この先何十年、何百年先も平和を願い手を合わせる場所を精一杯作らせていただきます。
嫁さんは、NHK大河ドラマ
【麒麟がくる】
をTSUTAYAでレンタルして見始めました。

『歴女』になる予定はないけど、歴史って面白いわ
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
と言ってます。
1つ目。
『西郷正勝』のもの。
もちろんこのお方も、戦国時代の武将。
長い間、今川氏に従属していましたが、
ご存知
【桶狭間の戦い】で、今川義元が織田信長に敗れました。
その後、今川氏は滅亡の道を辿り始めました。
そこで
幼い頃から、今川氏の人質となって過ごしていた
松平元康(後の徳川家康)は、今川義元の死後、
人質の身を脱し
晴れて自由の身となり岡崎城に戻り独立を果たし、
今川義元より1字とって名付けられた
【元康】の 【元】を廃し、
【家康】と改めました。
西郷正勝は、勢力の弱まった今川氏を見限り
独立を果たした家康に転属し、
五本松城(現在の豊橋市)を築き、三河西郷氏となり、家康に従属しました。
父、今川義元を亡くした息子の今川氏真(うじざね)は、転属した西郷正勝が気に入らないため
五本松城を攻め、西郷正勝を殺してしまいました。
…何というΣ(-᷅_-᷄๑)
そこで
形原松平家の菩提寺『光忠寺』で葬り供養し続けているそうですが、
御廟の確認がとれないままずいぶん長い時間が経ってしまったそうです。
今回、そんな西郷正勝公の御廟を再建します。
この先何十年、何百年先も平和を願い手を合わせる場所を精一杯作らせていただきます。
嫁さんは、NHK大河ドラマ
【麒麟がくる】
をTSUTAYAでレンタルして見始めました。

『歴女』になる予定はないけど、歴史って面白いわ
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
と言ってます。